「歌では人を救えない」勘違い、惨敗、挫折……それでもCoccoの歌は終わらない
◆歌で人は救えない。でも……
--誰かの歌を聴いているときに、その歌い手と自分がどこかで通じていると感じる瞬間はありますか?
いや、「つながっている」感じはしない。カイリー・ミノーグの新譜が出たら聴くけど、そこでカイリーとつながっているとは思わない。そこまで求めないというか。だって人ってそんなにつながれなくない? フランスまでライブを見に行ったことがあるぐらいカイリーは好きだけど、カイリーが私のために歌っているとは思わんし、私とつながっているとも思わんし。ただ「いいねー!」って聴くだけかな。
--では、歌にはどんなことを求めていますか?
歌は「できちゃう」気がしちゃうんです。もしかしてこれで誰かの力になったりできるのかも、何かを変えることができるのかも、それこそ山を動かせるんじゃないかとか。戦争を止めようというときに、みんながジョン・レノンの「イマジン」を合唱したりするのを見て、歌にはすごい力があるものだという観念を持っているから、自分にもそれができるんじゃないかって、たまに勘違いしちゃう。
でも毎回、惨敗する。歌で人は救えないし、歌で山は動かないと思い知らされて、アルバムを作った後は必ず挫折する。もうあかん、何もできない、こんなことやってても何にもならない、みたいな。『クチナシ』のレコーディング中も、「アイドル」という曲の歌入れをしていたら、悲しくて泣いて、でもなんでそんなに悲しいかはわからないわけ。歌ってみるまであんなに悲しい曲だなんて知らなかったけど、めっちゃ自分の無力感に打ちのめされた。
--どうすれば惨敗にならなくなるのでしょうか。
やめたいんだよ、本当は。でも歌が鳴り出したら止まらないし、トラックを作り始めたら時間がいくらあっても足りないし。こじらせだよね(笑)。どうすれば惨敗にならないのか、自分は歌で何ができるのか、それがわかりたいからまだ歌が止まらないのかな。
コメント
驕り過ぎでは?
天野月子の下位互換
メンへラの母
誰?
椎名林檎みたいな偽物と一緒にすんなよ。この人はメンヘラ中のメンヘラやが本物や。
声が異常に聞きやすいんだ
特別通ったり澄んでるとは思わないけど
力強く届くんだ
天野月子の下位互換?逆やろ
映画撮影って「KOTOKO」か?
あれ、ノンフィクションかと思うくらいの迫真の演技だったな
歌っている時だけ頭が変にならない、みたいな台詞があったけど
ガチなんだろうね
奉仕活動と自分がなりたい理想や自分がやりたい事をごっちゃにするとこうなる
奉仕活動は自分をなくして尽くすことだけど
表現活動は自分を出すことだから
この人は変人に見えるけど日本では数少ない本物の歌姫だからな。音楽会社が金かけて作り出そうとしてるエセ歌姫とはモノが違う。
この人が中学くらいまでずっと近所で同じ生活空間にいたって最近知ってなんか時空が歪む感じがした
それくらい特別な才覚を持ったアーティストだと思う