RADIOHEADはなぜ日本で評価された? 当時を田中宗一郎が振り返る
イギリスのロックバンドRADIOHEADの魅力を、音楽評論家でDJの田中宗一郎、シンガーソングライターの藤巻亮太が語った。
◆RADIOHEADの音楽との出会い
RADIOHEADに多大なる影響を受けた人たちがリスペクトを込めて「RADIOHEAD被害者の会」を結成。90年代から2000年代の最重要バンドのひとつ、RADIOHEADによって言動やファッション、人格までが形成されてしまったある種の“被害者”の話を聞きつつ、バンドの魅力を考えていくことに。
「RADIOHEADの被害者代表」として登場したのが田中宗一郎。出会いは最初にヒットしたセカンドシングル『Creep』だと振り返った。
https://www.youtube.com/watch?v=XFkzRNyygfk
田中:当時は「イギリスがそろそろ景気よくなるぞ」というときで。世界中にマクドナルドができたり、スターバックスができたりなど、世界中が文化的にアメリカナイズされたグローバリゼーションが進んでいった時代。イギリスでもグランジ、Nirvanaなどすごく元気で、気が付いたら「イギリスなのにアメリカの音楽が流行ってる」みたいな感じだったんです。
だけどそのなかにポンと出てきたのが『Creep』だった。あの静かに始まっていきなりうるさくなるサウンドは、ようするにNirvanaやNirvanaの元ネタだったりしたPixiesと同じなんです。でも曲の作り方は50年代から60年代にたくさん作られた、すごく甘ったるいポップソングのコードなんです。だから「このソングライティングとこのサウンドを組み合わせるのってなくない? どこから出てきたのこんなの」みたいな驚きを最初は感じました。
あっこゴリラ:『Creep』的なものってたくさんありますけど、『Creep』的なものの最初が『Creep』ということですよね。
田中:そう。だからあの当時ああいうギターのバンドはいくらでもいたんだけど、甘いメロディーの曲と合わせることはなかったんです。
◆当初は一発屋扱いだった
RADIOHEADは『Creep』が世界的なヒットとなったが、これで「ワンヒットワンダー(一発屋)」や「Nirvanaのパクりだ」と言われるなど、当時の評価は散々だったそう。
田中:イギリスのバンドは「アメリカに魂売ってる」って言うし、アメリカのバンドは「アメリカのパクりだ」って言うし。みんなに嫌われてた。
あっこゴリラ:じゃあめっちゃ売れてたけど、めっちゃ孤独だったんだ。そんななか日本ではかなり評価されてた?
田中:イギリスとかアメリカのインタビュアーって10の質問があったとしたら、8とか9は私生活を聞くわけ。「バンドメンバーと仲が悪くなったんじゃないか」とか「どこそこのバンドと仲がいいんじゃないか、悪いんじゃないか」とか。でも俺とか日本の媒体は音楽の話を聞くから、「日本人というのはジャーナリストもファンもすごく自分たちの音楽をわかってくれるんだ」という風に彼らは思ったんです。だから日本でしか話さないことがたくさんあったし、それがすごいファンの理解につながったんです。
コメント
buck-tickとおなじ
ダイアーストレーツってもう誰も知らんのかな
ワイは最初の二枚だけ好き