YMO高橋幸宏さん死去70歳 20年脳腫瘍摘出し懸命リハビリも 伝説のテクノサウンド ドラムで支え
1980年代にテクノブームを巻き起こした伝説のバンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで日本を代表するドラマーの高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんが亡くなったことが14日、分かった。70歳。東京都出身。死因や日時は明らかになっていない。2020年8月に脳腫瘍の摘出手術を受け、闘病中だった。高橋さんはYMOの音楽面だけでなく、赤い人民服など独特のファッションを打ち出すことで世界に衝撃を与えた。
関係者によると、高橋さんは静養先の長野県軽井沢町で年明けに肺炎を患い、容体が悪化した。亡くなったのは今週とみられ、仕事仲間や親しかった人たちへの報告が始まっている。
20年初夏から断続的な頭痛に悩まされ、同年8月のMRI検査で脳腫瘍と判明。摘出手術は成功し、入院治療の全工程終了を報告した同10月のツイッターで「新幸宏になって戻ると決意しました」と宣言。軽井沢の別荘で静養する一方、通院治療を続けた。
しかし、21年6月に定期検診を受け、「まんまと嫌な予感が当たり、また別の治療始めます」と投稿。再発ではないとしながらも、詳しい治療内容などは明かさなかった。
病魔と闘う原動力になっていたのが、プロデビュー50周年記念ライブへの出演。70歳となった自身の始まりの場と位置付け、何年も前から構想していたものだ。復活の舞台とするべく前を向き続け、懸命に治療とリハビリに取り組んでいた。公演自体は開催されたが、本人は出演できなかった。
78年に坂本龍一(70)、細野晴臣(75)と「YMO」を結成。シンセサイザーを大胆に使った演奏で80年代にテクノブームを巻き起こした。80年発売の代表曲「ライディーン」は高橋さんの作曲。日本のポップスシーンに与えた影響は計り知れず、正確なリズムのタイトなドラミングでYMOを支えたのが高橋さんだった。
その評価は日本にとどまらず、結成翌年から2年連続で世界ツアーを敢行。83年に“散開”するまでわずか5年の活動ながら、全世界でレコードの売り上げは500万枚以上に達した。高橋さんはファッション面でも斬新なグループイメージを構築。もみ上げをそり落としたテクノカットや赤い人民服などで世界に衝撃を与えた。
YMOはその後、“再生”と称して再結成を繰り返した。19年12月に開かれた細野の音楽活動50周年記念公演では、事前収録された坂本の映像に合わせる形で高橋さんらが演奏、「YMO復活」と大きな話題を呼んだ。その坂本は現在、最も重いステージ4のがんを公表して闘病中だ。ソロ活動やプロデューサーとしても実績を上げるなど、第一線に立ち続けた高橋さん。ミュージックシーンにとどまらず、サブカルチャーなどにも大きな足跡を残し、国内外に与えた影響は計り知れない。
高橋 幸宏(たかはし・ゆきひろ)1952年(昭27)6月6日生まれ、東京都出身。72年に「サディスティック・ミカ・バンド」に加入しプロデビュー。78年に「YMO」を結成。02年に細野と「スケッチ・ショウ」、14年には小山田圭吾らと「高橋幸宏&METAFIVE」を組んだ。主なソロ曲に「前兆」や「1%の関係」など。兄は音楽プロデューサーの高橋信之氏。
https://news.yahoo.co.jp/articles/05091066608a45c66fe19bfa314bb99969bc5e3f
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